【読書感想文】勉強の哲学

どうも、つなまよです。

過去記事の再掲です。

 

今回は先日読み終えた本、『勉強の哲学』という本についての感想や紹介をしていきたいとおもいます。

 

人生で2冊目となる自己啓発本、こんな時期だからこそ、休みの期間にダラダラ心を休ませるだけではなく、少しは成長させようと思い手に取ったのがこの1冊でした。

 

長い記事になる予感がしますので、初めにAmazonのレビューに凄い良いレビューが載っていましたのでそれをそのまま引用して軽く本の紹介としたいと思います。

(案の定めっちゃ長くなりました)

勉強が進むほどノリが悪くなるのは、
「だよね〜」という他者のノリに対して
「いや、そうとは言い切れない」という反例がいくつでも思いつくからである。
来るべきバカとは、そういう反例をすべて理解した上で、それでもノッてあげられる人である。メタ認知が進んだ状態である。
本書では、人生において勉強が欠かせないこと、つまりノリがどんどん悪くなる状況下でも、絶えず信頼に足る情報ソースを拠り所としながら勉強(比較)を重ねて、最終的に来るべきバカになろうという方法論が書かれている。非常に面白かった。

 

この本は全体を通して素晴らしく、僕の言語化できない部分を含めての大まかな内容についてはこのレビューが全て書いてくれているので僕はこの本の中で特に印象に残ったことについて、書いていこうと思います。

 

アイロニーとユーモア

本書を紹介するうえで大事になるのがアイロニーユーモアの二つの言葉です。

 

アイロニー

簡単に言えばアイロニーとは、ツッコミのことです。

友達との会話の中で、ちょっとした発言に対して「正しさ」を求めてしまう、最近よくTwitterなんかでみかける「クソリプ」と言われる類のリプライによくみられる光景ですね。

 

こんな記事が最近出ましたが、これがまさにそれに当てはまると思います。

https://entamega.com/39681

過剰なアイロニーはちょっとした発言一つ一つを取り上げて正しさを求めてしまい、場を白けさせてしまいます。

 

例えば10人で合コンをしているとして、1人が「嫁って何?それって女性蔑視だよね?」と言ったらどうなるでしょうか。感じが悪く、その人は嫌われるでしょうが、必ずと言っていいほどその場の全員はその後「嫁」という言葉を口にしづらくなり、しばらくの間は頭に「嫁があの場にふさわしい言葉じゃないなら言うべきだった言葉は?」という疑問が浮くと思います。

 

しかし、そういった小さな発言から生まれる疑問が、「常識」を変える一言になるかもしれません。

 

もちろん、時と場と言われた方の気持ちを考えるべきだとは思いますし、この記事は少し過剰反応過ぎるとは思いますけどね。

 

 

ーモア

 

簡単に言えば、ユーモアはボケです。

友達との会話の中で、ちょっとした発言に対して「ズレた答え」を返すこと、ウケるのが芸、ウケないのは「謎発言」ですね

僕にはユーモアの心は残念ながら持ち合わせてないので、本文から少し例を引用したいと思います

 

たとえば、友達の恋愛について噂話をしている。

AがBにひどいことを言って、それで別れそうになったけど、結局よりを戻し、でもまたトラブルがあって、どうのこうの……。「Aってそういうとこヤバいよね。」、「最悪だわ」、「Bは我慢してたらまずいよ」などと、Aを非難し、Bを心配する流れになっている。

~中略~

そこで、こんな発言が出るとする……「うーん、それってさ、音楽なんじゃない?」

 

この言葉を見たとき、みなさんはどう思うでしょうか。

 

何言ってるんだこいつ?どういう意味?つまり?

など、「その心は?」という気持ちになると思います。筆者の言葉を借りれば、話の流れをアイロニーのように壊すのではなく、拡張するのです。「本題からズレる」と言った方がいいかもしれません。

 

みなさんも普段友達と話しているとき、初めは学校の課題の事を話していたのに、気が付いたら最近見ている動画の事や、ゲームのこと、最近会った面白いことの話になっていること、ありませんか?

それは小さなユーモアによる話の転換が起きているからなのではないでしょうか。

 

話が上手い人はユーモアがあると言われますが、そういった人は今話している内容と、次に話す内容がどう繋がっているかを無意識に考えられる、目線の変え方が上手いと言えるのです。

 

 

アイロニーとユーモアから学ぶ勉強

 

当たり前を疑え なんて言葉があります。

 

勉強とは大半、何かに対する疑問から始まります。

「これは何か?」「これはどういう原理でこうなっているのか?」などなど…

先ほど書いたアイロニー、覚えているでしょうか。

 

日常的にみんなが良しとしていることに対する疑問、でしたね

その疑問を、ユーモアの視点で考える。

 

ユーモアとは何か。上手な目線の変え方でした。

 

 

日常的にみんなが良しとしていることに対する疑問を、いろいろな知識に結び付けて目線を変えて考えてみる。これが勉強の始まりであり、自分を見つめなおすことのきっかけに。

 

人に流されるだけの「バカ」から脱却し、一度ノリが悪い状態を経由し、その場のノリにあった対応を知識からできる人間に。

 

これが、僕が本書を読んで得た、「来たるべきバカ」になる方法です。

 

約80億といるこの世界の人間の中で、自分という存在を他の人に見つけてもらうためには、ずっと同じところに居ては変化が起きないので見つけてもらいにくいです。常に変化して動いているものにこそ、人は興味をそそられるのです。

 

勉強をサボり、自堕落な生活をする、それもいいでしょう。頑張ることは、つらいものです。しかし、一生同じ人と生きていることは難しく、大半はいつか大きな変化が起きます。それは人の死に限らず、引っ越しであったり、結婚であったり。

 

いつか来る新たなグループでのノリについていくために、自分という存在を浮かせずに守るために、勉強を続けるのが、賢い生き方なのではないでしょうか。

少なくとも僕は、この本を読んでそう感じました。

 

あまり居ないとは思いますが、この記事を読んで気になった人はぜひ買って読んでみてください。

自分と同じ高専の方は、図書館にあるので自粛期間が終わったら借りてみてもいいかもしれません。

 

Amazon 勉強の哲学 来たるべきバカのために

 

考え方の方法論だけでなく、勉強の方法論や、勉強するための参考書(教科書)の選び方まで書いており、来たるべきバカになるためのすべての方法が書いてあります。

また、自分を見つめなおす方法の一つとして挙げられている「欲望年表

 

実際に私もやってみましたが、今の自分の性格やスタイルの基盤となったのが誰の存在が大きいのか、また何の経験が基になったのかを改めて再認識することができました。読んだ方は、ぜひやってみてください。

 

すっごい久しぶりの読書感想文(?)で、拙く長々とした文章だったとは思いますが、読んでくれた方はありがとうございました。

 

 

ではまた、いつか。