【読書感想文】哲学な日々

みなさんどうも、つなまよ(Sorasuke)です。

読んだ本の内容を忘れないように備忘録として残したい。

今回ご紹介する本は

哲学な日々 考えさせない時代に抗して 著 野矢茂樹

です。

追記:この記事は4000字弱の長文になっています。最後まで読む気の方はお時間を用意してお読みください。

 

 

はじめに

近頃私は哲学に興味を持っているので、哲学入門として本書を選びました。

内容自体を軽く説明すると

初めの第1部では「西日本新聞」に掲載されていたコラムを50節書かれている。

次の第2部では哲学の事、哲学ではない事が短い文章で語られている。

まえがきにある通り、この本では野矢さんが読者が気楽に読めるエッセイとして書かれているため哲学についてがメインで書かれたエッセイではあるものの語り口が軽いことが特徴で、読みながら少し笑ってしまうような場面も多く入門としては凄く読みやすい本となっていると思う。

 

哲学者でもある私が、普段着で――ときどき素っ裸で――本音を語りたい。

 この言葉で力を抜いて終始読むことが出来ました。何気ない言葉ではありますが、肩の力を入れて読むような文章は私は少し苦手なので嬉しかったです。

 

第1部

私が読んでいる中で特に好きだったいくつか(これを書いているときにはいくつ書くか未定)について、語りたいと思います。高3にしては気持ち悪いかもしれませんが、自分のブログ、というか備忘録くらい好きに書かせてください。

8.案外ダメな授業

これは野矢さんが授業中に自分の講義ノートに自分で納得できないところがあることに気づき、しどろもどろに授業をしてしまったというエピソードである。

しかしそのしどろもどろな授業が生徒には、疑問から手探りで行う思考のプロセスを見ることが出来たため分かりやすいといわれた。と続く。

 

私たち学生からすると先生はまるで”全知”の存在かのように感じることが多い。質問すれば返ってくるし、授業は教員が理解している範囲で行うのだから当然である。しかしこのコラムを読んで教員も色々考えて授業をしているのかなーと改めて思わされた。

このコラムの最後には次のような文章がある。

「いや、動くのは学生であって、教師ではない。」

この文を呼んだとき、数人の先生の顔が思い浮かんだ。恐らくこの文章を読んでくれている方にも思い浮かぶ先生の顔はいるのではないかと思う。

  • 自分のやりたい授業を唯我独尊状態でやる先生。
  • 嫌われてはいるが生徒と対話しようとする先生。
  • (きっとこの授業はどのクラスでも同じようにやっているんだろうな。)と学生に思わせてしまうような流れ作業のような授業をやってしまう先生。
  • などなど…

 

 本書に唯我独尊状態で授業するような教員は自分だけ気持ちよさそうにカラオケを歌って悦に入っているおじさんと違いはない。と書かれていました。

なかなかきついこといいますよねw ただ、私も同じように思っています。

 

 世の中に何人の教員が居るのかは知らないが、きっと何万人もいるのでしょう。そりゃ数%は変な人間も出てくるし、教員というのは色々な世代の人間が入り混じっていて、各自のやり方に任されている節がある。世の中は刻々と変化しているのだから、生徒とうまくそりが合わないことがあるのも当然ではあるが、学生としてはやはり時代に合わせてほしいという気持ちはある。

コロナ禍でそういった遅れが明確に表れてきて、先生や学校への信頼度が大きく変化した方も多いのではないか。私もその一人だ。

 

生徒だって頑張っている。合わせようとしている。理解しようとしている。

 

でも色々な先生がいて、色々な授業のやり方があって、色々な考え方があって、私たちだって大変なんだ。

私たちはいま多感な18歳だ。少年とも青年ともいえるようなこの微妙な年ごろの生徒に対して、どうせ頑張らないから”と私たちの頑張りをみようともせずに否定するような授業をするのはやめてほしいな、と思う。

もちろん先生方だって忙しいのだろうが、そういった態度は私たちに伝わってきていることに気が付いてほしいし、反省してほしいなと思う部分ではある。

 

先生、私たちは頑張ってます。成果は出せないかもしれないけれど、間違うこともいっぱいあるかもしれないけれど、その頑張りだけは、認めてくれませんか。たった一言、何か言ってはもらえないのでしょうか。…それはそんなにも、むずかしいことですか?

 

長々と書いてしまった。ごめんなさい。

 

42.遊び友達

私は、友達と言える人間が少ない。友達って自分が言っていても、相手がそう思っているのかは分からない。だから私はあまり人に自分から話しかけることもないし、何かを誘うことも少ない。

(最近はコミュ力を鍛えるために頑張っているが。それがうざいと思っている方も多いかもしれない。すいません。ただ、きっとそう思っている人はこの文章は読んでいないだろうから謝ったところであまり意味はないだろう。)

 

私は何回か人生を本気で終わらせようか悩んだことがある。

実は病み体質なんです、私。

しかし私が今ここで死んだとき、彼ら(友達の事)はどう思うだろう。他殺ならまだしも、自殺だった時、きっといい思いはしないだろうな、と思う。そこで一歩、踏みとどまったということが何度かある。

私は彼らと何か共通の目的があって友達でいるわけではない。なんとなく集まり、なんとなくゲームをしたり、共に帰ったりする。

もしこの関係に何か共通の目的があった時、その目的が何らかでクリアされたとき、きっとその関係はそれまでと微妙に異なるものになるだろう。それはきっと友達でも、中でもない、何かだ。

そんな関係の人たちでは、きっと人生の終わりに顔がよぎることはないだろう。

だから、友達というのは、大事だと思う。

 

この人生を、何の価値もないこの人生を、もう少しだけ生きるために。

 

「人生でいちばんだいじなものは何ですか?」

私は無防備にこう答えた。

「——遊び友達、かなぁ。」

 

 

思ったより長くなってしまったので、 第1部はここで終わりますが、他にもたくさんいい言葉やふふっと笑えるようなコラムがあるのでぜひ読んでみてください。

第2部も手短にしたいです。

 

第2部

ここでもいくつか(例によっていくつ書くかは決めていませんが。)紹介したいと思います。

 

バラは暗闇でも赤いか?

 近頃、何かと「正しいこと」を求めるような風潮がある。

高専では先生方によく「論理」を求められるが、そうではない。Twitterなどでよく見られる「それは違うと思います。」といったリプライだ。

私はアレが凄く嫌いだ。なんだかわからないが、鳥肌が立つ。

 

正しいことは、確かに大事だ。でも、間違っていることだって、大事だと思う。

時には失敗し、そこから自分で学ぶその泥臭さこそが大切なのではないだろうか。

少なくとも私はそう思うが、あんなにも他方から指摘されてしまうと、間違っているときに自分で気づけない人間になってしまう。

 

「正しいことを教える事」で「正しい人間」にしようと世の中の方々はあのようにリプライを送っているのだろうが、それが一人の人間としての個性を、泥臭さを消してしまい無機質人間にしてしまっている。

 

それは、とても残酷だとは思いませんか。

でも、きっとこの言葉は、彼らには届かない。

彼らには自分の声しか聞こえていない。

彼らは誰かの声に耳を傾けることが出来ない。

―――無機質人間の完成形が彼らなのだ。

 

無意味ではあるけれど 中島義道『人生に生きる価値はない』解説

ここでは私の粗雑な言葉や体験を語ることはしない。

ただ一節だけ、野矢さんの言葉を引用して、一言一文だけ述べて終わろうと思う。

 

先にも述べたように、世界は私の思惑を超えた新たなものを私にもたらす。私は、世界とはたえず新鮮な水が湧き出ている泉なのだと考えたい。その水をすべて飲み干してしまったという思い、人生の全貌を見切ってしまったという思いは、なるほど死の不安を消してくれるかもしれないが、それは同時に生の力をも失わせるだろう。

 

歳を取るごとに昔好きだったものがつまらないと感じるようになるが、つまらないのはそのものではなくつまらなくなった私なのだろう。それは私たちが「大人になった」という一言で片づけられるものはあるが、そこにどんな変化が起きたのか、その変化が何で起きたのか、誰のおかげで起きたのか、それを考えることで、失うだけではなくそれは面白さではない何かを得て、そうやって大人になっていくのだと、私は思う。

 

 

さいごに

この本は弊校の図書館にあります。

夏休みの間は私が借りているので借りることは出来ませんが、近隣の図書館か、もしくは夏休みが終わった後(情勢がどうなっているかわかりませんが)にぜひ読んでみてください。

哲学に興味がない人にも、ぜひ。

 

自分や生き方に悩んだことない人、人を平気で貶すことが出来るような方々には読んでも意味はないと思いますが。

そうではない方々には何か得るものが必ずあると思います。

 

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私は夏休みのどこかで野矢さんのおすすめされていた、二子玉川の玉川大師、もしくは大船の定泉寺に行ってみたいと思います。楽しみです。

 

約4000字になってしまいましたがここまで読んでくださった方はありがとうございました。こんだけ書くと誤字の確認も面倒になってしまいますね。きっとないでしょう。

…あるんだろうな。まあいいか。

もう一冊、借りているのでそちらも読み終わったら長々と駄文を書くと思います。

そちらも良かったらぜひ、見に来てください。ではまた。